sitemap

vol.1 上坂典子さん (アナウンサー) その1

Oi-pan interview パン好きの「なんでパン?」をうかがいます。

 

●上坂典子(うえさかのりこ)さんのプロフィール
石川県小松市生まれ。成城大学文芸学部国文科卒業後、
北陸放送(株)(MRO)にアナウンサーとして入社。
1998年、北陸放送(株)退社後フリーとなる。
現在、北陸放送やえふえむ・エヌ・ワンなど、
石川県内のラジオの仕事を中心に、
式典・イベントの司会、ナレーターとして活動中。
2000年、2008年と、パリへの「パン旅」経験あり。



好きがこうじて、パリまで旅して「1日3食」パンを食べてたという上坂さん。
これを人づてに聞いた時、「うらやましい!」と、すぐにお会いしたくなりました。
今回は念願かなって、パン、そしてパリの話をじっくりとお聞きできました。
「血が逆流」「唇から血」と、なにやらぶっそうなフレーズも登場しますが、
それが何か、は読んでのお楽しみです。



その1

ハード系の衝撃

―    いつからパン好きになったんですか?

上坂・・・意識してなかったけど、幼い頃の体験が絶対影響してると思います。アナウンサーになったのもそう。父が転勤族だったせいで、転校するたびにいつも違和感を感じてて。言葉にどこかコンプレックスがあったんですよね。それでアナウンサーになって克服しようと。そんなふうに思い起こしてみると、パンが好きの発端も、生家のお向かいのパン屋さんに行き当たるんです。目の前がパン屋さんですよ! すごい恵まれてるでしょ。ちっちゃい時にパジャマのまんま、パン買いに行ったり、そこの甘食が大好きだったり。あまりに当たり前で、すごくおいしいと思ってたわけじゃないけど、他の人よりパン屋さんに思い入れが強いのはたぶん、そのせいかなと。

―    そのパン屋さんは特色あるパン屋さんだったんですか?

上坂・・・ごくごく普通です。その頃は当然、ハード系なんてなかったし。パンっていうのは柔らかいものだと思っていました。のちのち大人になって、金沢の「ジョアン」「ラ・フィセル」(現在の「たね」)、東京の「ルヴァン」のパンを食べて、

「なんか今まで食べてたパンと全然違う」と気づいたんです。

東京・富ケ谷の天然酵母パン店「ルヴァン」

―    でも、柔らかいパンも好きだったんですよね。

上坂・・・ ええ、口さみしいと甘食を買いに行ってました。ご飯でもなく、麺でもなく、簡単に買いに行けるもので、ホッとする食べ物。それが、私が子どもだった頃のパン。でも、そのまま今のようなパン好きに直行したわけではなくて、回りまわって…。その後に「ハード系の目覚め」があるんです。おそらく、その開眼点は、MROという会社組織をやめて、自分の時間ができて、「好きなこと探し」をしていた時だと思います。そこで「あ、やっぱり私、パン好きになってるな」って遅くに気がついたんです。37歳で。そして一気にパリに行くわけです。

―    会社を辞めた時、自分の好きなこと、やってみたいことはいくつもあったんですか?

上坂・・・あ、もちろん。一人暮らし、英会話、結婚、海外旅行、働かないこととか(笑)

―    会社をやめた時は、「好きなこと」がやりたくてやめたんですか?

上坂 ・・・というか「好きなこと」が何かわからなくなってたから。仕事が好きで、目の前の仕事をこなすうちにできるようになってきて。でもこれでいいのかなって。贅沢な悩みですよね。じゃあ、一回離れて、俯瞰で見てみようと。「なんでこんなに充実してるのに、辞めるの?」と人から言われても、やはり自分の心は充実してなかったんですね。そしたら、やめてみたくてしょうがなくなって。でも、逃げてるとは全然思わなかった。
会社を辞めたのは、やったことがないことへの興味からなんです、ただそれだけだった。バカみたいだけど、やめるのが楽しみで楽しみで。逃避だったら苦しかったんでしょうけど、37歳の頃は全然不安がなかった。で、やめて2年後の2000年に「パンを食べる」という理由だけで、パリに行くことにしたんです。ワイン好きの友人と2人で。

―    期間は?費用はどれくらいかかりましたか?

上坂 ・・・6泊8日です。2000年の頃で30万円内で行けました。

―    そんなことを聞いたのは、私も行ってみたいと思ったからなんですが…

上坂 ・・・パリには2008年にも2週間行きましたけど、その時はパンにしぼった旅ではなかったです。1回めのパリ旅前が、私のパンへの思いがピークだった時期です。東京のパン屋さん巡りをしたり、渡邊政子さんの『パリのパン屋さん』を読んで、行きたい店リストを作って。「パンだけでパリに行きたい」と、旅行会社の人に言ったら、「こんなお客さん、始めて」と目をまるくされました。

―    ハード系のパンを知ったのは「ラ・フィセル」のパンで?

上坂 ・・・「ルヴァン」で知ったのかもしれないけど、金沢では「ラ・フィセル」が初めてですね。

―    上坂さんは「ラ・フィセル」で働いてたんですよね。

上坂 ・・・そうです。たぶん私が会社を辞める少し前にオープンしてたんだと思います。ある時知り合いに「金沢に、パリのパン屋さんみたいなお店ができたよ」と言われて行ってみたら、パンの種類は少ないわ、固いわ。「えーっ!」て。まさに「ハード系の衝撃」でしたね。
また、パンと同様、店主の藤田さんの経歴もユニークで。もともと全然パン屋とは違う業界にいたのに、「なんでパン屋さんにいったんだろう」と。そうやって「ラ・フィセル」のお店づくりとパンにハマっていった頃と、会社を辞めることを決めた時期が、ちょうど重なってたんです。そんな時、藤田さんが「奥さんが出産で長野に帰るから、人手がないんだよね」と。「じゃ、私会社やめたんで、手伝います!」と、3ケ月ほど夏の間の週末、レジ係として働きました。接客を通して、少しだけですがパン屋さんの仕事の厳しさも垣間見ましたね。

「ラ・フィセル」にて。店主の藤田さんと

そんな経験もあって「本場でいろんなパンを食べてみたい!やっぱりパリに行かなくちゃダメだ」となった。
何がダメなんだって(笑)。そこが私の極端なところですよね。

本場でのパン巡りも、「気迫で勝負」でした。「どうしてもパン作っているところ、見せてほしい」って言って、「ポアラーヌ」という人気パン屋さんでは、地下室まで入れてもらったんです。

パリの「ポアラーヌ」の店頭で

 同店の名物パン「ミッシュ」

 

―    フランス語しゃべれないのに、どうやって見せてもらったんですか?

上坂 ・・・わからない、たぶん気迫が通じたんでしょう。お店のほうでも「ただの観光客じゃないな」と思ったんでしょうね(笑)。
職人さんとも写真撮りましたよ。秤とか道具も古いもの使ってて、面白かった。

ポワラーヌの職人さんと

ポワラーヌの機械

 

でも、2回め行った時はもう入れてもらえなかった。今度は言葉が通じているのに。
やはり気迫が足りなかったんでしょうかねぇ…。

―    上坂さんはその頃、パンの製法にも興味があったんですか?

上坂・・・全然(笑)

―    じゃ、パンの何にそんなに惹かれてたんですか?

上坂・・・「固いのにおいしい」っていう、こんな味覚、ご飯にはないですよね。皮のパリパリ感とか、生地の風味とか。とにかく、そのころはパリの「田舎パン(カンパーニュ)」憧れに憧れてたんです。

(つぎに続きます!)