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vol.1 藤田賢一さん その4

Oi-pan interview パン屋さんの「なんでパン?」をうかがいます。


●藤田賢一(ふじたけんいち)さんのプロフィール

石川県金沢市生まれ。日本工学院専門学校・音響芸術科卒業後、
「TAMCO(タムコ)」でテレビ番組の制作に携わる。
主な番組に「ザ・ベストテン」「風雲!たけし城」など。
東京・富ケ谷「ルヴァン」のパンと出合い、パン職人を志す。
長野県「カナディアン・ファーム」で修業後、
1998年、金沢市玉鉾に「ラ・フィセル」オープン。
2005年、金沢市富樫に「パン屋 たね」を移転オープン。
同年に、フランスチーズ鑑評騎士の会日本支部「シュヴァリエ・デュ・タスト・フロマージュ」
叙任。



その4

次はなんだろうなぁ

―    ラ・フィセルの創業から12年たちましたね。今の思いを聞かせて下さい。

藤田・・・やりたいこととか、やりたかったこととか、自分の中で、ひと段落ついたところはあるんです。じゃ「次はなんだろうなぁ」というのが、ちょうど今の状態かなあ。お客さんの中から「攻めの姿勢が弱くなった」という批判もいただいてるんで、またそういうのを出していったほうが面白いのかなぁと。「これから、こういう小さいパン屋がどうあるべきか」という今ちょうど分岐点にあるという気がする。うちに限らず、いろんなところがね。
例えば80年代半ばから、小さい手作りのパン屋さんが自家製酵母のパンを作り始めたという源流があった思うんです。最初の10年ぐらいは、ちょっと極端な思想で、こだわりの天然酵母パンを焼いてたという時期があった。でも、この10年ぐらい前から、「いや、そういうパンもいいけど、日本発祥の木村屋のあんぱんもパンだし、食パンもパンだよ」といろんなパンが多様化していった。フランスパンも、カンパーニュもあるんだ、とみんなもうわかって、お客さんがいろんなものを選択できる時代に入ってきてるんですよね。知識は一応、雑誌とかで見て知ってるし、いろんなパン屋さんで見たり食べたりもしている。じゃ「今日の私に必要なパンは何なんだろう」と選べる時代にもう突入してるので、それを用意しなきゃいけないのかな、というふうには思ってる。うちは惣菜とかは弱いんで、その弱いところをもうちょっとカバーしてったほうがいいのかなと思うんですけどね。

―    お客さんの中から「惣菜パンをやってほしい」という声はあるんですか?

藤田・・・ないんですよ。というか、ハナから期待してないふしがある(笑)。どうも、店を使い分けているらしい。「今日はたねで買おう、明日はあっちで買おう」という感じで。

―    私はたねさんというと、いつ来ても定番のパンがちゃんとある、という印象です。

藤田・・・うん。「そういうふうにあるべき」と思ってやってきたのが、今少し変化しつつあるから、そのへんでやるのがいいのか、やらないのがいいのか、というところも含めて模索してます。

―    じゃ今まで目指してきたのは、定番のきちっとパンを作ることという…

藤田・・・そうですね。オープン当初からアイテムは増えたけど基本的なものは何も変わっていないんです。「何年も何十年も変わらないことに力を注ぐ、それが大事」と思ってたんだけど今「いや、そうかな」と。変わらないことはすごい、素晴らしいなあと思うけど、変わることも素晴らしいなぁと思い始めて。ちょうどそこで、どうしたらいいのかわからなくなっちゃってたりとか。

―    それはここ何年かのこと?

藤田・・・ここ、数カ月ぐらい。

―    何か刺激があったとか?

藤田・・・逆に刺激がなくって、刺激を欲しがってるのかなと。今までは「このまま行けばいいわ」と思ってたのが、なんか刺激が欲しくなって。何か始めた方がいいのかなと。そういう虫が騒ぎ始めてる。このまま何もやらずに後悔したくない。「自分のキャラって、どういうふうだっけ」とか考えたりして。

―    定番のパンに常連さんがきっちりいて「安定してきて、さあどうする」という時期なんですかねぇ。

藤田・・・ずっと何年も変わらない常連さんが付いてきてくれてるし、このまま行けばいいのかもしれないけど、「何かほかにやりたいことはあったんじゃなかったっけ?」という感じ。人の仕事をそんなに見る機会はないんだけど、いろんなところでいろんな人の活躍や立ち位置を見聞きすると、「ああ、自分の立ち位置って、どこなんだろう」と思ったりするんですよね。

うちは金沢のちっちゃいパン屋で、たいしたことないところだけど、例えば東京「シニフィアン・シニフィエ」(※前記事をご覧下さい)の志賀さんなり、最近、神戸で「サ・マーシュ」を立ち上げた「コムシノワ※」の西川さんなり、昔からやってる「ルヴァン」(※こちらも前記事を)の甲田さんなり、それぞれの立ち位置がやっぱり明確なんですよね。じゃ、俺にできることで、他のパン屋さんや人が「おおー!」と思って見てくれるようなことをやりたいなぁと。やっぱりプロだからそうあるべきなんですよね。

※「コムシノワ」は、神戸市を中心に展開するレストラン・ベーカリー。独創的なパンを次々を打ち出す西川さんは常にパン職人の注目の的なのだそう。

―    これから藤田さんが「何かやろうかな」と思い描いてるのは、どんなパンなんですか?

藤田・・・だいぶ前からやろうと思ってて動けてないんだけど、石川の野菜や果物とか、地ものを素材を使ったパンを作っていきたい。五郎島きんとき、小坂れんこん、押水のイチジク、能登の栗や塩、そんなお国自慢をパンにできないかなと思ってる。「石川にもこんなパン屋がある」とちゃんと発信したら、全国のパン屋さんが「それではうちも」と連動してくれるんじゃないかなぁと。ただ、今流行りのカレーやラーメンみたいな「ご当地なんとか」の流れと混同されないようなやり方でいかなきゃな、と思うんです。あれはあれでいいけど、ちょっとそれとは違うやり方でやりたい。具体的には、地物の素材を使って「ああ、この土地に生まれてよかったな」と思ってもらえるようなものづくりをしたい。ご当地ラーメンやご当地カレーを食べても、そういうふうにあんまり思わないでしょ。だけど、パンならできそうな気がする。

―    これからのたねさんが、どう変化していくのか、常連としてもなんだかワクワクします :-D
ところで、そうやってお客さんと対話するパン屋を生業としてやってきて、よかったなって、手ごたえみたいなものは感じてますか?

藤田・・・まだわかんないですよね。よかったかどうか。

―    まだやり足りない感がある?

藤田・・・会社員時代に「もうダメだ、やめちゃおう。でも何をして生きていこう」と探して、その答えが「パン屋」だった。でも「何をして生きようか」ということと「どう死のうか」というのはつながってる。死んじゃうというその一点まで生きてるわけだからさ。この先「じゃ最後はどうやって死んだらいいのかな」というのがある。今は、できれば死ぬ間際までパンは焼きたい、とは思ってる。身体が動くんだったら、パン焼かなきゃなと。よかったかどうか、は最後にならないとわからないな。まぁ、喜んでくれる人がいたりするのを見ると、「ああ、よかったな」とは時々思うけど。

―    でも「死ぬときまでパンを」という思いまで深められたのは、ひとつの幸せですね。

藤田・・・「これをやってればいいんだ」というのが見つかっただけででも、すごい幸せなことですよね。それが見つからないと、やっぱりすごい苦しいんですよね。

―    いいなぁ、そういうのが見つかって。

藤田・・・後は、今の店にもフィセルみたいな、お客さんが座れるスペースを作ることかな。ローンを払い終わって身が軽くなったら、要するに「じいさま」になったら、毎朝食パンだけ焼いて、後は茶を飲んでお客さんと語り合えるスペースを作ろうかなと。

―    そっか、最終目標はできてるんだ。

藤田・・・目標とまではいえないけど、「最後まで身体が動かなくなるまで、何かパンは焼きますよ」という思いはあるね。


(藤田さんのインタビューはこれで終わりです。
最後までお読みいただき、ありがとうごさいました
次回のゲストは「まなびぃ」店主、永野真弓さんです)