
久々に読了できた小説。
しかし、このなんとも不思議な読後感はなんでしょう。
静かで重い、でもどこか既視感のある。
物語は、ある女性の一人称で語られています。
イギリスの全寮制学校のごくありふれた日々。
誰かとささいなことでケンカしたとか、
どんなものが宝物だったとか、
異性に興味を持ち始める時期の、心と身体のちぐはぐさとか。
ヘールシャムという、田舎の学園(と思っていました)での
正直言って、退屈なほどさりげないエピソードが続きます。
いつもなら、途中で読むのをやめてしまうところですが、
この小説は違いました。
エピソードの中に、少しずつ、異物感のある言葉が増えていき、
それら伏線となって、いくつかの事件が起きるのです。
その部分だけを読んでいても、
実際にどういう意味を持っているのか、
漠然としすぎていて、よくつかめません。
それがとてもミステリアスであり、不気味でもあります。
物語の途中で、学園だと思われたヘールシャムが、
「ある目的」のために作られた施設だとわかります。
そこで働く先生が、その目的を知らず、あまりに無邪気な生徒たちに、
真実を口走ってしまうのです。この告白は、
用意周到に散りばめられたエピソードで、なんとなく連想でき、
それほどの衝撃はありませんでした。
主人公のキャシー、親友のルース、そのBFのトミーは、
やがて、なごやかなヘールシャムの生活を終え、
厳しい現実に直面することになります。
グリーン色の幼少期から、灰色の青年期へ。
私が本当の衝撃を受けたのは、物語が終わろうとする前の、
キャシーとトミー(この時は恋人同士)の英断の場面でした。
「本当に愛し合っていることを証明できるなら、
そのふたりには猶予が与えられる」
というヘールシャムの伝説を信じて、
今の自分たちの状況を変えようと、ある人物に直談判しに行くのです。
そこで描かれる言葉、ふたりの心の動きは、
私たちが、子どもから大人へ変わる時に必ず体験する、
あの感覚を思い起こさせます。
それも「何かを隠されて」育った人、
その何かが大きければ大きいほど、
自分が何者であったかに愕然とし、
深い穴に落ちて行くような絶望を味わうのです。
「鏡に映っている自分」が、それまでとは全く違う別物に見える瞬間です。
キャシーの目を通して、彼女たちを見ていた読者は、
別の視点によって、彼女たちを改めて見つめ直し、
悲劇の大きさに打ちのめされるのです。
ヘールシャムの先生たちは、
生徒たちの「幸せな子ども時代」を守るために、
彼らを「保護」し、「物事を隠す」ことを選びました。
(真実を伝えようとしたルーシー先生は、施設から排除されました)
先生たちは、ヘールシャムが閉鎖された今も、
自分たちの成果に満足しています。
でも、果たして、それはほんとうに良い事だったのでしょうか?
森や池、草花に囲まれていたヘールシャム時代とは違って、
大人になったキャシーたちの世界は、
病院や廃墟など、荒涼とした風景に包まれています。
3人で見に行った、北ウェールズの難破船。
ラストでキャシーが訪れる、
強風と荒波が集めたゴミが打ち上がるノーフォークの海岸線。
忘れ去られ、疎とまれさえするものを、近しいと感じる彼ら。
こんな感情を持っていた時期が、自分にも確かにあり、
今、それに押しつぶされそうになっている人々がいることを、
忘れずにいたいです。
『わたしを離さないで』は、
日系英国人作家カズオ・イシグロ氏の2005年度の作品。
映画化され、首都圏では現在公開中です。
石川県では、6月上旬から金沢フォーラスで公開予定。
見に行こうと思ってます。
キャシー役は「17歳の肖像」のキャシー・マリガン、
ルース役は「パイレーツ・オブ・カリビアン」などのキーラ・ナイトレイ、
トミー役は「ソーシャル・ネットワーク」、
次回「スパイダーマン」主演のアンドリュー・ガーフィールド。
コメント
2011年5月23日2:18 PM | とろろん
2011年5月23日3:22 PM | oi-pan
2011年5月24日12:30 PM | キャサリン
2011年5月24日2:30 PM | oi-pan