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vol.7 ゲイトウ・アンデルスさん その3

Oi-pan interview パン屋さんの「なんでパン?」をうかかがいます。

●ゲイトウ・アンデルスさんのプロフィール
1976
年、フランス・パリ近郊に生まれる。
15
才でコロンビアへ。ベルギー人のピザ店でパン作りを覚える。
フランスへ帰国し、パンの学校で学ぶ。
「PAUL」などパリの数々のパン店で修業の後、コスタリカへ。
パンの行商をするうちに、直美さんと出会う。
イギリス・ロンドンに渡り、

ホテルや高級デリのベーカリー部門に勤務。
再びパリに戻り、パティシエの資格取得。
フリーのパン職人として働き、直美さんと結婚。
第1子誕生を機に直美さんの
故郷、粟津温泉に移住。
2008
年6月に現店舗をオープン。


 

その3

実り多き”フリー職人”時代

―    おふたりはパリで再会して結婚。そしてアンデルスさんはまたパン職人に?

アンデルス・・以前学んだパン製菓学校に通って、パティシェの勉強をしました。6ケ月の短期コースで資格を取得。それからパリの有名店でパティシェとして働こうと思っていたんですが、やはり自分にはパンが合っていると思い直し、今度はフリーのパン職人として働くことにしました。

―    フリーのパン職人とは?

アンデルス・・ひとつのパン屋さんに所属せずに、依頼があれば週や月単位でその店に出向いてパンを作る職人です。パリにはものすごくたくさんパン屋があるので、そういった働き方が可能なんです。私のそれまでのパン遍歴の中では、最高の経験になりましたね。全然違うスタイルのお店でいろいろと働けたから、面白かった!


フリー職人として働いていた頃。
いつもお茶目なアンデルスさんは
職場のムードメーカー

 

 

 

―    依頼を受けたお店で、すぐに正規の職人さんと同じように作業しなきゃいけないから、かなりの技術力が求められますよね。

アンデルス・・そうですね。それができるという前提で依頼をいただくので。
中にはすごく難しい店もたくさんありました。マニアックなまでに厳しいオーナーの店とか…

―    有名なパン屋さんにも行かれたんでしょうね。

アンデルス・・すごく影響を受けたのは「Du Pain et des Idees (デュ・パン・エデシデー)」。2008年にパリNo1番パン屋さんに選ばれた店です。オーナーシェフのクリストフ・ヴァッスールは天然酵母など伝統的スタイルをよみがえらせた人で、「バゲットの常識を覆した!」と称賛されていました。
すごく厳しい人でしたが、私を信頼してくれて、彼の店では2~3ケ月働きました。
「また戻ってこい」とも言われていたんですけどね。

―    そんな方の信頼を得るフリーのパン職人なんて、すごいですねぇ 8-O
依頼を受けた店の手法や段取りを瞬時につかんで、助っ人として十分な働きをしなければいけないわけですから。すごい勘のよさと順応力が求められますよね。日本だったら、あり得ない気がする。

アンデルス・・パンの需要が多いパリだからこそ、成り立つ仕事だと思います。現場に感覚的に合わせていくことが必要なので、繊細すぎたり頭で深く考えすぎたりするとやれないですね。

―    アンデルスさんはいろんな難関に体当たりで挑戦して、そのたびに軽々と乗り越えているという印象があるんですが。

アンデルス・・やりたいことの実現のために、最大限の努力をしてるだけですよ。まず自分の情熱を周囲に表現すること。例えば、パン製菓学校に入学する時もお金がなかったんです。奨学金を得るため、校長先生を学校の門で待ち伏せして、「自分にはお金がない、でもここでどうしても技術を学びたい」と直談判。その熱意がなんとか伝わって、校長先生は国の奨学金でなるべく負担がかからず学べるように手配してくれました。前にもお話した「エコール・ドゥ・ブロンジュリー・エ・ドゥ・パティスリー・ドゥ・パリ(EBP)」という有名校です。この学校にはなにかとお世話になり、後にパティシエの資格も取得しました。

―    フランスの方というと、クールという印象だったんですが、アンデルスさんは熱い。それを受け止める校長先生も。

アンデルス・・どの国でも、しっかりと思いを伝えれば人はわかってくれる。
私は人とのつながりでここまで来られたと思っているので、人をすごく大事にしているんです。

―    ヨーロッパの人たちは個人主義で他人のことはあんまり…という印象があったんですが、アンデルスさんのお話をお聞きしてるとそうでもないんだなと。

アンデルス・・クールと思われがちなフランス人もいったん懐に入ると、
みんなほんとうにあたたかくしてくれますよ。

―    ”懐に入れる”のは、アンデルスさんの才能でもあると思います :-o

アンデルス・・私は家庭の事情もあって、若くして生きるために何かしらの技術を身につけなければならなかった。パンの技術は私にとって楽しみや生きがいというより、生きる糧なんです。

―    その部分がアンデルスさん生きる芯になっていて、ぶれないんでしょうね。
ところで、自分に合っていたというフリー職人は、何年ぐらい続けたんですか?

アンデルス・・2年半ぐらいです。その後、長女が生まれたのをきっかけに、日本への移住を考えるようになりました。「子育てをするなら、直美の故郷である日本のほうがいいかな」と。
それに私も新しいチャレンジがしたくなってましたし。

―    あ、そろそろ次の章ですね。

(つぎに続きます!)