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vol.7 ゲイトウ・アンデルスさん(metissage店主)その1

Oi-pan interview パン屋さんの「なんでパン?」をうかかがいます。

●ゲイトウ・アンデルスさんのプロフィール
1976
年、フランス・パリ近郊に生まれる。
15
才でコロンビアへ。ベルギー人のピザ店でパン作りを覚える。
フランスへ帰国し、パンの学校で学ぶ。
「PAUL」などパリの数々のパン店で修業の後、コスタリカへ。
パンの行商をするうちに、直美さんと出会う。
イギリス・ロンドンに渡り、
ホテルや高級デリのベーカリー部門に勤務。
再びパリに戻り、パティシエの資格取得。
フリーのパン職人として働き、直美さんと結婚。
第1子誕生を機に直美さんの
故郷、粟津温泉に移住。
2008
年6月に現店舗をオープン。

 

パンの腕を頼りに、ヨーロッパ、中南米、日本と、
諸国の文化になじみ、人々とふれあってきた

アンデルスさんが今回の主役です。

伝統製法のバケットを作る正当派パン職人。
若くして世界諸国を渡り歩いた冒険者。
楽天家で人なつっこい温泉街の人気者。


彼を語る言葉はさまざまにありますが、
その芯には1本の幹が貫いています。
厳しい環境にめげず腐らず、

その幹の太さと厚みを育んできたアンデルスさん。
インタビューでは、彼の”栄養”がわかります。

その1

パンは世界の共通語

―    アンデルスさんはパンをどちらで勉強されたんですか?

アンデルス・・15才の頃、当時コロンビア※で働いていた兄を頼って、現地に渡りました。そこでいろんな仕事をした後、コーヒー農園で働くようになりました。やがて、その近くにベルギー人の方が営むピザのお店があったので、住み込みで働き始めたんです。

―    15才で、住み込みでとは、すごくたくましいですね 8-O

アンデルス・・コロンビアへは兄を頼ってきたものの、意見が合わずケンカ別れしてしまい、途方にくれていたんです。世界で最も治安が悪いといわれている地域で、今思うとよく生きのびられたなと思います。白人だとお金を持ってると見られやすいんですが、私は村の人たちと仲良くなって、守ってもらってましたね。ピザ店のオーナーにもすごくお世話になりました。


ピザ店オーナーのベルギー人、クラウドさんと奥さん

 

 



※コロンビアは、南アメリカ大陸の北西部の国。現在も内戦が続き、国内情勢は安定していない。

―    そこでは、パンは生きていくための手段だった?

アンデルス・・ええ、パンが好きというよりも、生活の糧を得るために働いていました。教えてもらったパン生地で作ったサンドイッチなどを、「焼きたてのパンだよ~」と鐘を鳴らしながら売り歩いていました。

―    日本のお豆腐屋さんみたいですね。今は見かけなくなりましたが。

アンデルス・・あ、日本にも、そういう行商スタイルがあったんですね。私が住んでいたのは、コロンビアの山岳地方の村。今でも生活様式はほとんど変わってないと思います。パンの素材の質も悪いんですが、焼きたてパンだとおいしく食べられるので、みんなに喜ばれてましたね。

―    そこに何年おられたんですか?

アンデルス・・1年ほどたった頃に、いきなり入局管理局の人たちがやってきて、フランスへ強制帰国させられてしまいました。実は私の兄が通報したんですけどね。

―    まるで映画みたいですね。

アンデルス・・その時は「なんで?」と憤りでいっぱいでした。でも今では、私の将来を心配しての行動だったんだなと理解できます。

―    フランスに帰った時は何歳になってたんですか?

アンデルス・・コロンビアには約4年ぐらいいて、戻った時には19才になっていました。その後、徴兵の義務を終えてからあたらめて、「自分はこれからいったい何をしていこうか」と考えたんです。
私の夢は世界のたくさんの国に行くこと。そのために”パン職人になる”というのはいいアイディアだなと思いましたね。

―    パン職人は全世界で通用する技術職ですものね :-D

アンデルス・・そう、今こうして日本で仕事ができているのも、パンを作ることができるからです。

―    技術を身につけるために、どんな勉強をしたんですか?

アンデルス・・パリのパンの学校「EBP」に行って勉強しました。3年分で学ぶことを1年間で習得したんです。
終了後は「PAUL」に就職。日本にも出店してる有名パン屋ですが、当時は進出前でしたね。
私は一番下からのスタートしたので、すごく大変でした。早朝4時から作業が始まるんですが、車の免許を持っておらず、エッフェル塔近くのその店まで1時間半かけて自転車で通っていました。途中でさすがに辛くなって、屋根裏に友人と二人で小さな小さな部屋を借りました。
「PAUL」で約1年、その後はパリのいろんな店で働きました。だいたい3ケ月ぐらい働くと技術がわかるので、そのタームで店を変わってましたね。オーナーにはすごく迷惑だったでしょうけど(笑)。


パリのパン製菓学校「EBP」にて

 

 

 


 

 

―    アンデルスさんは飲み込みが早いんでしょうね。

アンデルス・・その店の技術を覚えてしまうと、次のことがしたくなるんです。
そして、次はコスタリカ※に行きました。

―    えっ、コスタリカに。どうして?

アンデルス・・ほんとうはコロンビアに行きたかったんですけど、ものすごく政治情勢が悪くなっていて、とても入国できそうになかった。

―    そんなにコロンビアには魅力が?

アンデルス・・私にとっては最高の国。人生に必要なものがすべて揃っている国”です。若い頃に始めて渡った国ということで、特別に印象が強いのかもしれませんが。
いい食べ物、環境、音楽、そこには必ずいい人がいる。すべて循環している。
治安は確かに悪いですが、それを上回る豊かさがある国です。

―    アンデルスさんにとって、魂に響くものがたくさんある国なんですね。

アンデルス・・コロンビアには行けなかったものの、やはり中南米に魅かれるものがあってコスタリカを選びました。

―    そこでもパン屋さんを?

アンデルス・・コスタリカの首都サンノゼで、一緒に行った友人とクロワッサンやサンドイッチ、フォカッチャなどをレストランやホテル、バーに売り歩いていました。一時、資金を援助してくれる人が現れて、お店を持ったこともありましたが…信頼を裏切られるようなトラブルもあり、また元のパンを売り歩く生活に戻りました。最終的にスタッフは5人ぐらいになって、作り手と売り手を役割分担して運営していましたね。
直美との出会いはちょうどその頃です。


コスタリカで仲間とパンを売るアンデルスさん

 

 

 

 

※コスタリカは中央アメリカに位置する国。南米では比較的に政治的安定が続いていたが、近年はまた不安定化している。

(つぎに続きます!)